スポンサーサイト


上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

Posted by スポンサーサイト at

2010年10月30日

明日は下駄ダンス&パフォーマンスコンテスト!

心配されていた台風14号も徐々に過ぎ去り、静岡県内にはほぼ影響が
なくなりました。

あぁ、よかったハート吹き出し

・・・と、いうのも明日は地元・伊豆の国市で『第5回下駄ダンス&パフォーマンスコンテスト』が開催。

そう、私たち『伊豆あぶにゃー部(通称:危部)』もパフォーマンス部門で出場します!グー

え?何?『あぶにゃー部』って(笑)

・・・そんな疑問や興味を持っていただいたらもう『あぶにゃー部』のとりこ
そこから私たちとのコミュニケーションが始まります。

ブログを見ていただいた方だけに教えちゃいますが、
あぶにゃー部は全員、基本は主婦。
とにかく明るく元気。
いや、それだけじゃ済まされない・・・ある意味いきすぎ感もあるんですが
まぁ、とにかく笑いがたえないチームです。

このあぶにゃー部については、近々活動記録ブログを立ち上げる予定です。
もちろん、このイーラで(笑)
私たちのこれまでの軌跡、裏話・・・等メンバーそれぞれ書き綴っていこうかなと
思いますのでそのときにはよろしくお願いします。

さてさて、本題の下駄パフォのほうですが。

早々に出場を決めてから2ヶ月。
予定をあわせて回数は少ないですが、練習してきました。
ハードルの高いダンス部門より、とにかく下駄はいて楽しんじゃおう!のパフォーマンス部門。
とはいえ、ダンスがメインです。

うーんダンスかなぁ(爆)

曲は私が見つけてきたんですが、久しぶりにこれを耳にした時『これだよ、これ!』とビビっときたんです。
さぁ、それがどんなパフォーマンスを生むか。

それと危部といえば、芸術ともイタズラ書きともとれるメイク。
今回も気合入れていきます。

たった、2分間。
この短い時間で表現する難しさを体感しつつも、メンバーみんな楽しく、そしてガチで賞金狙うという
目標立てて頑張ってきました。

この主婦たちの熱い思い、皆さんに届くように頑張ります!!!!

ちょっとでも興味が沸いたらぜひ明日、伊豆の国市長岡・アクシスかつらぎまでおこしくださいね。

コンテストは12:00からですが、午前中から『下駄散歩』『温泉まんじゅう祭り』もやっています!

コンテストの結果はまた後日ご報告いたしますね。




  


Posted by うるまゆ at 21:35Comments(5)危部

2010年10月27日

体験ダイビング 後編

体験ダイビング後編でーす!

どーしても素潜りができないことが悔しい・・・今回のメインはダイビング(笑)
近いうちにリベンジしようと心に誓ったのでありました。
それにしても海女さんってすごいのね。しみじみ思いました。

さて、いよいよ器材を背負って潜ります。
流れと器材の説明と注意事項を伺いました。

・呼吸のしかた(深呼吸をイメージ)
・水圧で耳が痛くなる前に耳抜きする
・呼吸は止めないこと。

大事なポイントを頭に入れ、いざ海へ!!!

期待も大きいけど、私結構テンパるからなぁ・・耳抜きする時は呼吸はどうするんだっけー?とか
ずっと頭で考えていて(笑)
普段こうしているときも呼吸を妙に意識すると、なんだかわからなくなることってないですか?
あ?私だけですか??・・・すみません(笑)

海に入って少し水面で呼吸の練習。
そして、いよいよ海の中へ・・・。
浅い海底に取り付けられている手すりにつかまり、
ここでも呼吸の練習。

『吸ってぇー、吐いてぇー、すってぇー・・・』と考えてたら
案の定、呼吸が浅くなって。
やだ、私、鼻使えないじゃん。息どこで吸うんだっけ?
・・・こんな感じで少々パニくり、勝手に水面にでちゃいました。
だめですねー、あんまり意識するのってよくない。
鼻詰まってると思えばいいんだよね(笑)
そんなのしょっちゅうじゃん・・・と気を取り直して
再チャレンジ。
坂倉さん見てたら段々落ち着いてきて、呼吸も慣れてきました。
『いけます、隊長!!』てな感じでOKサインを出して
海底のロープをつたってさらに深いところへ。
うわ、耳痛ぇ・・・あっ、耳抜き、耳抜き!

ポイントに着いて周りを見回すと・・・

うわーめっちゃキレイ!!うお、ウオ、魚がぁぁぁ!近いっ!
しかもすごく透明なんです。
大きな水槽に入ってる感じ。
海底も白くて、すごく明るい!

 余裕の出てきたところで記念撮影。

自由に撮影してね、とカメラをお借りしたんですが、
自分の目でも見たいし、カメラにも残しておきたいし。
しかも、魚泳いでるし(→当たり前か!!)うまく撮れません(泣)

名前がわからない魚がたくさんいたんですが、うまそうな魚はわかります(爆)





カワハギくん。食っちゃうぞぉ。 

海底をツンツンつっつく姿がキュートでした。
近づいてきたので手づかみしてやろうと思ったけどムリ(笑)








 こちらは珊瑚の赤ちゃんがたくさん。

 養殖しているそうです。坂倉さん、ご自分の珊瑚ちゃんを見せてくださいました。









圧巻だったのが魚の群れ!もんのすごい数なんです。
魚によって群れの形がそれぞれ違うのがおもしろいんです。

なんとなーく群れてのんびり泳いでるものや、
隊形変化していく群れもある。

 こちらはなんとなく群れている。











 個体それぞれ向きは違うけど群れてる。











 圧巻だったのがこれ。おいしいおいしいキビナゴちゃん!!

 口をあけて鯨のように飲み込みたい気分でした(爆)









キビナゴは本当にすごかったですよ!
場所を忘れてしまいましたが、テレビでどこかの水族館でイワシの大群がいて
それはもうショーのように群れの形が変化していくんですよ。

さすがイワシの仲間。あのテレビでみた群れとおんなじで
キラキラ光って本当にすばらしかった!!
いつも同じ場所に群れているわけじゃないだろうし、すばらしい光景に出会えて感激!!

ちょっとお名残惜しかったけど、友達と交代。

その間ぼーっと獅子浜の風景を堪能してました。
風もそれほど強くなく、日差しもでてきて最高のお天気。
これに富士山見えたら、さらにテンションあがりそう。
自分の住んでいる近くにこんないいところがあったんだぁとしみじみ。

友達は私に比べて、余裕たっぷりでした。
あがった時の表情がもう、海の中で感動しきり!ということがすぐ伺えました。

着替えが済んで、昼食。
体力も使った、カロリーも消費した・・・で、ボリューム弁当は見事に完食。
ご馳走様でしたぁ、おいしいお弁当でした。

その後は坂倉さんのショップにもどり、しばし歓談。
見てきた魚の種類を教えていただいたり、この魚はうまいだの、
酒のつまみに最高だの・・・みなさん、飲兵衛ですなぁ(他人事(笑))

幼稚園のお迎えも気になるところだけど、あまりにも居心地良くて。
非日常体験をたっぷり堪能し、このまま寝たらどんなに気持ちいいだろうなんて
思いつつ、タイムリミット。

子供を迎えたら思いっきり現実に引き戻されるね、って笑ったけど、
キモチもリフレッシュして、また『母ちゃん』を頑張れるかな。

主婦にとっては贅沢な気分転換かもしれない。
だけど、同じお金かけるなら思いっきり自然にとけこむ体験のほうが
心も体も解放されて、ストレス解消というより、回避する心の余裕が
生まれそう。
もちろん、やけ食い、やけ酒、衝動買い・・も、魅力的な解消方法だけどね(爆)

これからはランチの回数と洋服1枚ガマンして(笑)
また獅子浜にこようと思った『うるまゆ』なのでした・・

  坂倉さんお世話になりました。またお願いしマース。

 ってなわけで、初心者でも、主婦でもいけるぞぉ!

 みんなで行こう『ししマリン』!







お世話になった『ししマリンだいびんぐすくーる』はコチラ ↓

http://www.sea2marine.jp/

そして、お得な割引券をゲットしちゃったイベント情報はコチラで ↓

http://jinmyakuhatakara.com/















  


Posted by うるまゆ at 23:26Comments(2)レジャー

2010年10月26日

体験ダイビング 前編

今日は沼津は獅子浜にある『ししマリンだいびんぐすくーる』で体験ダイビングをしてきました!

20代の頃、勤めていた会社内でもダイバーがたくさんいて、私もやりたい!!と思っていたのですが、
タイミングを逃がしてしまい、あきらめてしまいました。

ところがアラフォーに片足半突っ込んでいる私(笑)にもチャンスが!!

今日お世話になった『ししマリン』の坂倉さんは、ツイッターのフォロワーさんの1人。
ダイビングスクールを経営され、体験ダイビングもあるとのこと。
うーん、行ってみたいなぁ・・・けど、やっぱり主婦には贅沢なレジャーだ・・・
そんなとき9月にあった面白イベント『宝島』の抽選会で、なんと願いが聞き届けられたのか

『平日ダイビング5000円OFF券』

をゲットできたのであります!しかも、面白イベントだからいこうよぉ、と声かけた園ママ、友人も
見事に当たるし。

予定があった園ママと一緒に体験ダイビングに申し込みました。

寒くなりそう、と天気予報で言ってた割には暖かい朝。
平常どおり4時起床。支度を済ませ、娘を幼稚園に送り、いざ『ししマリン』へGO!
幼稚園から15分かからずに着きました。

坂倉さんから説明を受け、ダイビングスポットに移動。
ウェットスーツに着替えます。

入るウェットがあってよかった(爆)・・・てか、痩せろ私。
一緒に行った園ママの細さにへこみつつも、いつかはそのウェットは私が着てやると
勝手に1人で盛り上がるってるし。
ウェット着たわいいけど、うへー、ロボットみたい(爆)
その上、ぴったりサイズのウェットがピンク、フィンもピンク・・・

『ししマリンプレゼンツスペシャルコーディネート 林家パー子』

坂倉さん、私のためにありがとう。テンションあがりました(爆)

注意: 実際にはありません。たまたまです。

さて、それはさておき、まずはスノーケリング。
こちらは経験があったので、緊張もなし。
ぷかぷか浮かびながら、海の中のお魚観察。

すごく、キレイ!しかもこんなに透明度が高いとは!
たくさん魚がいました。
坂倉さん曰く、いつもより透明度が高くコンディション最高だとか!
さすが日頃の行いがいい証拠ね(爆)
フィンの扱い方、マスククリアを教わりながら、海の上をぷかぷか。
そして素潜り!!
私、昔は素潜りできたんですよー!!
けど、ウェットの浮力もあって、コツもなかなかつかめずうまく下に潜れない!
クヤシイ!!!!!!!
絶対マスターしたい!ジャックマイヨール!!!!グランブルー!!!
ダイビングを前にまたしても道が外して闘志を燃やす私(爆)

さて、いよいよ本来の目的ダイビング・・・!

次回に続きます。


・・・続くのかよー!!てか、本編に行くまで長っ。
いいの、いいの。楽しいことはこうして長くても記録にしておかないとね。
































  


Posted by うるまゆ at 23:29Comments(0)レジャー

2010年10月25日

母と私が歩んだ道。その3

結婚式効果のおかげで、しばらくは体調も安定し年越しもお正月も
家族で過ごすことができました。

先生から宣告された余命を越え、すこしずつ明るい兆しが見えてきました。

ただ、ガン自体が消えた分けてもなく、根本的な治療がない。
あとは残された日々を苦痛を少なく過ごすことを優先に。

それは変わらない事実でした。

誰からも好かれた母。
私の友人たちも母のお見舞いに足を運んでくれました。
出産後赤ちゃんを連れてきてくれ、しばし癒される時間をすごす母は

『孫ほしいなぁ。早く欲しいなぁ』と無邪気に私に振ります。

『授かり物だからね。気長に待ってよ』というと

『もう私は先がないからね、私の命をあげるからね。そう、昨日夢で

お願いしたんだよ』・・・言葉が出ませんでした。

1ヶ月ほど家で過ごせるほど安定した日々。
趣味の手芸をしたり、昔話したり。
普通にケンカしたり(笑)
ただ、あちこち連れて行けないことが残念でした。
食事制限もあったけど、時々2人でケーキを食べまくったり。
そんな些細な毎日がすぎていた矢先、激しい痛みを訴え
すぐ病院へ。

いよいよ疼痛コントロールが自宅では厳しくなったということ。
つまりもう家にはもどれないところまできたことを覚悟してくださいと
宣告されました。

何が辛いかというと、こういう辛い事実を言われ、
涙をこらえて母に接すること。
もう、きっとわかっている。ばれているとは思っていても
いまさら告知して、好きなようにしようとはいえない。
さすがに母も精神的に追い詰められ遺書を書く始末。
ある意味お互いギリギリの精神状態になってきました。
家族も焦るばかり。ぎすぎすしてしまいケンカが多くなりました。
こうしていても仕方がない。
だけど打開策がなかったんです。
こういうとき、第三者のメンタルケアというものが重要なんだなぁと
感じるようになりました。
がん患者を抱える家族、本人の癒し、癒される場が少なすぎるんですね。

入院中、夜中に母が痛みと不安を訴えるため、特別に許可をもらい
病院に泊り込むことになりました。
こむら返りをしょっちゅうおこすため、痛がる体をさすってあげると
安心して眠ってくれました。
そんなときに妊娠がわかりました。
母は涙を流してよろこび、編み物を始めました。
もう手も利かないのに一生懸命に目を拾って赤ちゃんの服を編むんだと。

しかし妊娠がわかって1週間後、母を息を引き取りました。
とても苦しく本当に本当に辛かったと思います。
もう覚悟をしていたので私もどちらかというと母がこの苦しみから
解放されたことにほっとしたのが本心です。

母を失った悲しみにくれるまもなく、私はお腹に宿った命を守るべく
必死でした。
この新しい命こそ、本当に母の生まれ変わりと信じています。
私のギリギリの精神状態のなかもしっかりとお腹の中で育ってくれ
五体満足で私のところへきてくれました。
生まれて初めて娘とであった時に、

『お母さん、ありがとう』とお礼をいいました。
小さな手が私の指をぎゅっと握り返してくれました。

母が亡くなってから6年が経ちました。
正直なところ年々母への思いが募ります。
どうしてなんでしょう?
親になって壁にぶつかった時、きっと母もこういう思いをしたんだと
思うとき、計り知れない母から私への愛情を強く感じるからなんでしょうね。

大人気ないですが、本当に母に会いたいです。
着物の着付けも、たくさん残してくれた着物の種類も価値もよくわからず
何も母から学び取らなかった自分に悔しくてたまりません。

こんなおもしろく明るくやさしい娘を抱かせてあげられなかったことが
悔しくて。
でも、これも運命。

何年かかっても悲しみは癒えないかもしれないけど
それはずっと私の心に重くのしかかっても
忘れないで生きていきたい。

長々とすみませんでした。
赤裸々につづりたかったので、乱暴な書き方ですが
思いをつづる事ができてよかったのかな、と思います。

私という原動力、人を喜ばせたい、喜んでもらいたいというのは
まさしく母の存在、母のDNA。

はっちゃけちゃうこともあるけど、
そっと見守ってください。
そして、一緒に楽しんでくださいね。


お母さん、アナタの娘は危なっかしいけど
がんばってるよ!!!!
誰にも負けないよ!

そして私がみんなを守るよ。       合掌。


追記:今日は『危部』の部会があったんだけど、仏壇に声をかけてくれたりお線香上げてくれたり。
   涙をこらえるのが大変でした。みんな、ありがとう。




  
タグ :家族


Posted by うるまゆ at 01:28Comments(0)家族

2010年10月25日

母と私が歩んだ道。その2

私がお勤めしている8年のあいだに母はガンを2度経験しています。
父もその間に、心筋梗塞で倒れバイパス手術を受けることもあり、私はもらった有給を
すべて病院の付き添いで使いきっています。
これも一緒に住んでいるからできることであり、また一人娘の宿命なんです。
母のガンの宣告を受けた時は、ショックは大きかったものの初期だったため、
手術によってすべて取り除かれました。
ただ、常に再発のリスクは抱えており、本人も家族もそれがいつも心配の種。

仕事をがんばっているのはいいんだけど、早くお嫁にいきなさいよ。
お母さんもたないよー・・・というのが口癖になっていた母。
私は結婚願望はあったものの、どちらかというと仕事をしてお金貯めて、
散財して(笑)両親の面倒は私が見る!というキモチが強かったので
まだまだ先でいいや!なんてのんきに構えていたら三十路の声を聞き
母のほうが焦っていました(爆)

そんな頃、ひょんなきっかけから同じ部署にいた大先輩にあたる父ちゃんと
意気投合してあれよあれよというまに結婚が決まり、結納を交わした翌日。

母が急激な腹痛を訴え、父が病院に連れて行って私も駆けつけました。
『家族の方を集めてください』というドクターの言葉に、ものすごい不安を覚え
家族になる予定の父ちゃんも病院に来てもらい話を聞きました。

『肝臓がんのステージⅣで余命3ヶ月』

目の前真っ白になりました。肝臓がんは一度クリアになったものの、肝硬変に
なっていたため、ガン再発のリスクは高いとは聞いていましたが、
こんなことになっていたとは。
2ヶ月に一度、主治医の先生の診察は欠かさなかったのに。
さすが沈黙の臓器。
しかも肝硬変が悪化していたので、ガンができると瞬く間に広がってしまったのだろうと。
あまりの急展開に私しばらく動けず。

そしてこの病状を本人に告知するかしないか。
考える余裕もなく、まず家族のなかで気持ちを整理するため
しばらくは伏せておくことに。
母はそのまま入院となりました。

家に帰って父とそして将来を決めた父ちゃんと話したこと。
このとき9月だったのですが、12月に予定している結婚式をどうするか。
おそらく治療という治療は特にないので疼痛コントロールをどうすすめて
いくか。
そして、いつその日が来てしまうのか・・・
泣いていても始まらない。もうカウントダウンが始まってしまったんだ。

まずはすぐ入籍。そして、沼津に住んでいた父ちゃんが家を売って
うちの実家に住むことに。
それは一日も長く『あたらしい家族』ですごす時間をつくるため。

そして私の退職。
あまり母のことは表に出したくなかったので、タイミング的に寿退職。
このときまで私と父ちゃんが結婚、ましてやお付き合いしてたことも
知らない人が多かったので、結婚と退職で大きな話題を作ってしまいました。
私の退職で会社内が静かになったとも(爆)
退職に関してはすごく悩みました。まだまだ勉強していっちょまえのエンジニアを
めざしたかったから。
だけど、今は母との時間が大事。自分の夢は後回しにしようと腹に決め
スッパリ辞めてきました。

退職後は日に日に弱る母の付き添い。ガンの痛みを抑えるための薬と
弱った肝臓の働きを助ける点滴を毎日。
コントロールがきかないと入院の繰り返しでした。

『やっぱり再発したんだよね。こんなに辛いもの。あんたも続けたかった
会社なんかやめなくたってよかったのに。』と泣かれることもしばしば。

もう告知しよう、と何度も思ったんだけど、告知はとてもデリケートな問題。
その事実を受け入れられる患者さんと、かえって逆効果を与える患者さんと
分かれると聞いていたので、今の母にはとても耐えられない事実。
たしかに自分の人生ですから知る権利もあるし、自分で決めたいこともあるでしょう。
でも、私はこの事実を知って落ち込んで生きる力をもてるかどうか、この状態の
母には厳しいと思っていたんです。
いまだにそれが正しいのかどうか後悔の念にも近い気持ちになることも
ありますが・・・。

あまりにも一緒にいすぎて、お互いストレスがたまりケンカすることも
たくさんありました。
私の言葉がきつすぎて、母が泣いて寝室からでてこないことも。
お互い気持ちがギリギリだったんですね。
こんな状態では母にかえって辛い思いをさせるだけだと
時折は息抜きをしていましたが、一分一秒がもったいないと思ってしまい、
私もかなり極限状態まできていました。

けれど、やはり親子。こういった濃密な時間を過ごすことが少なかったこともあり、
病院の帰りにお茶をしたり、手をつないで散歩したり。
今でも思い出すと涙が出るほどあたたかい時間でした。

秋が深まるにつれ、母の容態は一進一退。
ただ母の願いは私の結婚式に出席することでした。
治療がまったくなかったわけでななかったのですが、とにかく肝硬変の
悪化がネックでした。
ガンをアタックすることにより、肝不全をすすめてしまうリスクが高く
本当に気休め程度の治療を施すことしかできないことが歯がゆかったです。
12月に入ってからは容態が悪化し、再入院。
ドクターからも無理して結婚式には出せないとの許可も下りず
私もあきらめていたのですが、前日になってまさかの回復。
先生からも車椅子での出席、式が終わり次第すぐ病院へ帰ることを条件に
一泊外泊で家にもどってきました。
しかし夜中に悪化し、明日はいけないと母は大泣き。
私も期待していただけに残念なキモチでいっぱいだったのですが、
何より母の体調が大事。
父が病院に連れて行くから申し訳ないけど両親欠席といわれたときは
大人げなく泣いてしまいました。

朝、半分父とケンカしつつ1人式場へ準備に行き、控え室で支度をしていると
突然ノックが。
後から準備に来る父ちゃんが、父と母を連れてきてくれました。
しかも母は車椅子にも乗らず、しっかり留袖を着てる。
着付けを頼んでいたのにもかかわらず、自分の体調に合わせてゆるめて着物を
着たいと自分ですべて着付けたそうです。
『じゃ、あとでね。昨日はごめんね』といって歩き出した姿は
昔の粋な後ろ姿そのままでとてもステキでした。
大宴会のような披露宴だったので母もずっと笑顔のまま。
お腹の底から笑ったよー、もう治るね。きっと・・・と言葉を残して
病院へ帰りました。

続きます。




  
タグ :家族


Posted by うるまゆ at 01:28Comments(0)家族

2010年10月25日

母と私が歩んできた道。その1

おサボり気味だったブログですが、
今日は祈りもこめて母への思いを書き留めておきたかったのです。

実は今日は母の誕生日。
生きていれば66歳です。
まだまだ若いですよね。

先述したとおり、私の母は伊豆長岡、韮山の温泉場で芸者さんをしていました。
体が小さくて丸っこいところから『万丸』(笑)
なんて単純!!と思いつつも、実は芸達者で人気のあった元芸者さんの名前を
頂いたというエピソードもあるんだよ!と母はよく自慢していました。
体が小さかった分、踊りや鼓、太鼓なで不利なことが多かった分
負けじと人一倍頑張った姿を置屋の女将さんに認められて名前を授かったとか。
母さん、すごいじゃん!
特別美人じゃないけど(笑)、着物姿は子供からみてもステキでした。
ちょこまかしていてリスみたいな普段からは想像できないくらい、着物に袖を
通すと背筋がしゃんとして、立ち振る舞いのきれいないこと。
身の丈以上の貫禄を感じるほどでした。

私を身ごもった時にはもう現役を引退したようですが、
母の現役時代の写真は、はなやかな温泉街の様子も残っており、
学術的にも?貴重なの資料なのかもしれません。
整理していつか蔵出ししたいと思っています(笑)

引退後はのれんわけしてもらった置屋を切り盛りし、先述のとおり
父が転がり込んでからは(爆)一変したそうです。
まったく母も人がいいというかなんというか。
いろいろ問題抱えた父を抱え込めば、苦労をしょいこむことは承知
だったはず。
おそらく本当の辛いところはお墓まで持っていってしまったのかなぁ。

そのかわり父も母への恩返しで、これまでの置屋のスタイルを変えただけで
同業のなかでもずば抜けて稼ぎが良かった・・・と父の談ですが(爆)
母の置屋をものすごく大きくしました。
だけど・・・母はそうは望んでなかったみたいです(笑)
ビジネスと割り切る父と義理や人情に厚い母との間には時々いさかいが
おきたようです。
たいてい16歳も年上の父が説き伏せてしまったというのは想像つきます(泣)

廃業してしばらくしたころから母は長年の激務がたたってたか
体調を崩すようになりました。
子供の頃からもともと心臓が弱く、過労はできないからだだったのに・・・。
家族を支えるために花柳界の飛び込んだそうです。
そのツケが帰ってきてしまったんでしょうね。

それでも私の学校が自宅から遠かったこともあったり、父も体調を崩すことが多くなった
こともあり、40代になってから車の免許を取ったり努力の人でした。
夜の仕事が主だった母には、今の私のようなママさん同士の昼間の交流というのも
なかったため、中学・高校での母親同士の付き合いには苦労したそうです。
在学中には一言も私にもらさなかったんですけどね。
中学生の多感な時期に、ふとしたきっかけで我が家が芸者置屋をやっていたことが
周りの耳に入り、大人な対応ができない一部の保護者には、勘違いもはなはだしい
花柳界のイメージ先行で外されたこともありました。
私も私ではっきりといわれたわけではないけど、よそよそしい態度をとられることが
あって・・・実は、それがトラウマでもありました。
あまりにもその状況が苦しくて母に相談したところ

『私たちは泥棒しているわけじゃないじゃない。芸者っていうのはね、日頃辛い思いをしている
ひとたちの息抜きの場をつくる大切な仕事なんだよ。汚いお金であんたを学校になんてやっていない。
むしろ人を喜ばせていただいたありがたいお金なんだよ。世の中にはよっぽど汚い商売をやって
いるひとだっているんだよ』

と慰めてくれました。
おそらく母も辛い思いをしていたんだと思います。
母は偉大です。
私は、家業が恥ずかしいと思ったことがとても恥ずかしくなって
母に父に申し訳なくて涙がとまりませんでした。
それ以来、私も逆に腹がすわりのびのび学校で好きなことをやってきました。
であって25年にもなる親友もいまだ続いていますし、母校も大好きになれました。

両親とも体が弱ってきていたので、一人娘としては遠くの大学へ行くより
手に職つけて近くにいたいというのもあり、私は友人と離れて地元の専門学校へ進学。
そして就職氷河期といわれながらもラッキーなことに第一志望の市内の制御機器メーカへ
就職しました。
仕事はかなりきつかったけどやりがいがありました。
いずれ機会があったらそのときのことをお話しようかとは思いますが・・・
深夜残業、時には徹夜もありましたが、家が近いことが唯一の救い。
時には飲み歩いていたこともありました(笑)・・が。いつもいつも母が心配して起きていられる
時間まで起きてくれていました。

遊んで帰ることもあるから寝ててもいいよ、っていってあったのにね。

  
タグ :家族


Posted by うるまゆ at 01:27Comments(0)家族

2010年10月25日

私の両親と家業のこと。その2

ちょっとブランクがありましたが、続きを書こうかな。
しばしお付き合いくださいませ。

順調にきていたと思われていた家業のほうも、景気のあおりをうけ
芸妓さんよりコンパニオンのほうがニーズが高い状況になってきていました。
以前よりお座敷もぐっと減り、温泉街のにぎやかさも少しずつ少しずつ
失われて・・・伝統とはいえ、その伝統を披露する場もなければ続けていくことは
難しいと時代を先読みしていた父は廃業を決意。
まだまだやっていけそうなのに・・・とありがたいお言葉をかけていただきながらも
早々に廃業してしまいました。
私が中学2年生くらいだったと思います。

籍を置いていた芸妓さんも置屋の廃業とともに解散。
父のバックアップでスナックを経営するお姐さんもいれば、
コンパニオンに転進したというお姐さんも。
どこかの温泉場に職を求めて出向いていったお姐さんもいらっしゃいました。
今では行方がわからない方がほとんどですが、みなさん元気でいらっしゃるのかな。
母が亡くなった事、知っているのかな・・・
時々ふとあのにぎやかな風景を思い描くと胸が熱くなり、
あの活気のある独特の雰囲気の温泉場を夢に描くことがあります。

家業を廃業したものの、まだ私は中学生。
この頃から激務がたたったのか、両親が相次いで体調を崩すようになり
新たに仕事を探して働くことはとても厳しく、おそらく貯金を切り崩して生活を
していたのだと思います。
・・・私、実は今で言う『お受験』で中学から私立に行かせて貰いました。
母親同士仲の良い幼馴染がお姉さんの通っている学校に行きたいということを聞き、
それだけで私も感化され受験を決めてしまった・・・と思われます(笑)
友人は有名塾へ通っていましたが、私が受験を決意した頃はもうすでに入れる枠もなく
父と毎朝4時に起きて勉強した覚えがあります。
かなりスパルタな父に線引きで叩かれながら涙をこらえて問題を解いていたあの頃。
親子してなぜか引き下がれず、意地もあったのだと思います(笑)
めでたく?なのかマグレなのかいまだに合格して、6年間も通って卒業したことが
いまだに不思議で・・・今の私の様子から『え?ほんとに卒業生?!』と
いわれるほどですが・・・。
こうして私自身親になった今、家業を廃業したのにもかかわらず、学校を卒業
させてくれたことについては本当に感謝しきれないです。
病気も抱えながら働けない不安を抱えつつ、それらを一切感じさせずに
全力でバックアップしてくれたなぁと・・・。

家族で一緒にスポーツをするとか、そういった普通の家庭にあったことは
少なかったけど、華やかでありつつ厳しい花柳界のこと、男女のこと(笑)、
お金のことなどかなりオープンで独自の路線で世の中を見せてくれたと思います。

自分の将来を考える時期がきたころには、手に職!!をかかげ、
そのまま成績をキープしていけば大学へ進学できる道ははじめから選択肢になく
システムエンジニアを目指しました。
その頃、興味持っていたのがパソコンだったので(笑)

みんなが右へ行くというなら、あえて左に進んでいこうとする
アマノジャクというか、苦労も後日談として楽しんじゃおうという精神のルーツ
になっているんでしょうか?

今も昔も本当に両親に感謝しています。

特に・・・そのキモチは静かに眠る母。

そんな母へ祈りをこめて次回は思いをつづりたいと思います。

  

Posted by うるまゆ at 01:27Comments(0)家族

2010年10月12日

しばしお休み

家族のこと、自分のことなど振り返りの意味もかねて書き始めたのですが、

なんだかいろいろ思い出していたら、懐かしさとともに

ネガティブな思いもでてきちゃって。

まぁ、楽しい思い出ばかりじゃないものね。

と、いうことでまた振り返る余裕がでてきたら、

続きを書きたいなぁと思います。



  
タグ :家族


Posted by うるまゆ at 14:51Comments(0)家族

2010年10月02日

私の両親と家業のこと。その1

私を育ててくれた両親について。

実はいろいろと複雑なのですが、

隠すことでもないので、ぶっちゃけます(笑)



私は、韮山で芸者置屋を営む両親のもとで生まれました。

一人娘です。

今となっては芸者置屋という商売もあまり聞かないと思いますが、

私が小さいときは、まだまだ伊豆長岡も活気があり、毎晩のように宴会のお座敷に

呼ばれていました。

夜のお座敷に備えて、夕方の我が家は戦争。

父が事務方全般をやり、母は1人で芸者さんの着付け。

みんなでお座敷に送り出したあと夕飯。

お座敷が終わって帰るころには、当然私は寝ているのですが、

芸者さんたちがお客さんからチップをはずんでもらったり、高級なお寿司をおみやにもたせて

もらったときには、よくたたき起こされたものです(笑)

お酒とタバコと着物の香りが充満する空間。

子供を育てる環境としては今では信じられないけど、私にとっては懐かしい香りです(笑)

芸者さん(とくに温泉場)ってちょっと勘違いされてるところもありますが

普段は三味線、唄、作法、日本舞踊・・・など、芸事の修練もとても厳しいものでした。

私も実は日本舞踊を習っていたんですよ(笑)

ここまでは家業の話。

さて、父と母のことです。

もともと、私の母も九州から人を頼ってこちらに住み着き、芸者として伊豆長岡、修善寺

遠くは船原のほうまでお座敷に出ていたとか。

昔は華やかだったんですね!

母の芸者の通り名は、小さくて丸っこかったので『万丸』ちゃん(笑)

(ちなみに母の当時を知る地元の方は、若いころの母に私がそっくりでいまだに『万丸ちゃんの娘』と

呼ばれます(笑))

頑張りを認めてもらったのか、当時の女将さんよりのれんわけをしてもらい、

20代後半で置屋の女将さんになったそうです。すごい、ある意味出世!!

で、ここで父の登場です。

父は富士の出身で、生まれも育ちもよかったそうで(→あくまでも本人談)

会社を経営し、よく遊んでいたそうです(爆)

長岡のほうによく繰り出し、たまたま宴席に呼ばれていた母のことが気に入ったようで、

その後もよくお座敷に呼んだそうです。母曰く、すごくいいお客さんだったとか!!(笑)

ところがところが・・・・父の会社が諸事情で(→ここは伏せます)倒産。

いい身なりをしていた父が、肌寒い時期にランニング、短パン、サンダル姿で突然母を頼って

きたそうです。

忙しかった母はどうにもして助けてあげられないからと、とりあえず帰るように促したそうですが、

祖母が『キモチが落ち着くまでここにいればいいよ』と家に置いたとか。

母にとっては、とっても迷惑だったそうで・・・しかも、お金もないのに、いろいろひどいことを

忘れるためにお酒に逃げていたそうで、朝からずっと飲みっぱなし。

それでも祖母は手厚く面倒をみたそうです。

そんな変な同居生活のなか・・・情に変わったのか、結果として私が母のお腹に宿ったんですね(笑)

それを知ってから父は心機一転、狂ったように働き出し自分の会社や家庭のごたごたを整理し、

数年かかってめでたく家族になったそうです。

まー、もっと内情はすごかったとは想像できますけどね(爆)

そんなきっかけから二人で芸者置屋を切り盛りしていき、私が物心ついたときには

もうそれは毎日が宴会のにぎやかな毎日でした(笑)

これまでの芸者置屋の形を変えようと、ビジネスモデルを打ち立てて、

新しいスタイルの経営を取り入れたことで、母の置屋は基盤がしっかりしていましたが、

昔堅気を守る母と、ビジネスと割り切る父とはよく衝突していました(笑)

しかも二人は年が16歳も離れていたので、いつも母は論破されてしまい

実はかなーり不満をもっていたようです(後の談)

儲かったけど、人と人のつながりに溝ができてしまったとか・・・。

続きます・・・












  
タグ :家族 両親


Posted by うるまゆ at 23:31Comments(3)家族

2010年10月02日

娘のこと

続いて、我が家の一人娘のこと。

2004年12月24日生まれ、ただいま5歳。

予定日直前になって、自然分娩が難しいとわかり

予定帝王切開に。

帝王切開がイヤで、先生の前でぶーたれていましたが

『クリスマスイブにお誕生日はどうかしら?』

の先生の一言に、二つ返事で答えた私。

クリスマスシーズンクラッカーが大好きな私、結婚式も、出産も偶然か必然か?

大好きな季節で向かえることができました(爆)

そのうえ、娘をお腹に宿した時を同じくして、私の最愛の母が天国に旅だったこともあり、

悲しみにくれるヒマなく、まずこの子を無事に出産しようというキモチがいっぱいで。

家族を失った悲しみも、彼女がこの世に生まれてきてくれたことが

私たち家族の支えとなりました。

初めての育児・・・このときこそ実母にいちばん甘えたかったのですが、

それもかなうわけでもないので、とにかくがむしゃらに育てました(笑)

そんな母を察してか、娘もあまり手がかからなかったように思えます。

子供ってそれなりにしっかり育つもんなんですね(笑)

顔は父ちゃんそっくり、性格は母ちゃんのDNAをしっかり受け継いだお調子者。

どうやら幼稚園でもムードメーカのようです。

ちょっと落ち込んでいても、いきなり変顔したり。変な踊りしたり(笑)

私もそうですが、やっぱり悲しい顔より楽しい顔でいて欲しいんでしょうね。

そんな娘の面白おかしい行動なども

親ばかっぷり満載で綴っていこうと思います。

ちなみに名前は『花凛(かりん)』といいます。

先日、竹下空海さんに書いていただいた額ですが、名前の由来をメモ書きしたら

そちらも書いてくださいました。感激ですハートたくさん










  
タグ :家族


Posted by うるまゆ at 23:31Comments(0)家族

2010年10月02日

父ちゃんのこと

ブログを始めたばかりなので

とりあえず家族を紹介してみようかと。OK

まずは我が家の大黒柱の『父ちゃん』

静岡市の丸子の出身。

伊豆の国市内の某制御機器メーカに勤務。

地元にお住まいの方なら『あぁ、あそこね。でもいったい何を作ってるの??』

と、言われること多し(笑)

会社名も変わってるので・・・。

部署はシステム技術部所属。去年から部下を持つようになりました。

毎日遅くまでお仕事頑張っています!パンチ

口数少なく、ちょっと職人気質なところがあり、まさに昭和の男。

そう、男は外で働き、女は家を守る!というタイプ。

すみません。期待に添えず家を守れていませんが(爆)

今は娘のことが一番。かわいくて仕方がないようです。ハートどきどき

時には叱って欲しいんですが、なかなか叱れないようで(笑)

まっ、私が普段ガミガミ言ってるのでバランス取れてるのかなー。

昭和の男らしく、家事や育児には積極的ではありませんが(爆)

私が楽しみでやっていることは、内心呆れてるかもしれないけど

見守ってくれてはいるようです・・・。あぶにゃー部とかねっ(笑)

芋焼酎と娘をこよなく愛す、うちの父ちゃんです。

見かけたら声かけてあげてくださいね(笑)顔02











  


Posted by うるまゆ at 23:31Comments(0)家族

2010年10月02日

ブログ名とHNのこと

『うるまゆ』とは

私の旧姓と名前の一部分をとったものです。

『キムタク』と同じ(笑)

苗字が5文字で呼びにくいのもあるのですが、

子供のころから職場、今に至るまで『うるちゃん』『うるさん』・・・

名前で呼ばれると時々他人かと思います(笑)

ちなみにブログ名は・・・

はい、パクリです顔06顔06顔06

B'zの大ファンであるし、応援歌パンチだったりもする。

『うる』が二回も使われてるなんて運命?!

リスペクトハートの意味もふまえて(笑)拝借しました。

余談ですがライブでは『ウ・ル・ト・ラ ソウルっ!!ハイッ!!』と

このときばかりは身軽にハイジャンプしますダッシュダッシュダッシュ

リアルな私をご存知の方、想像つくでしょ??顔02


  

Posted by うるまゆ at 23:30Comments(0)

2010年09月29日

ごあいさつ

みなさま、はじめまして

うるまゆ』と申します。

昨年末よりツイッターの世界に足を踏み入れ、

気楽につぶやくくちびる楽しみを知りました

しかし、本来おしゃべりな私が140文字という制限のなかで

思ったこと、感じたことを伝えられない顔07

そんなツイッターのおまけ的な感覚で綴っていけたらいいなぁと

思い、このブログを開設しました。

ま、はっきり言って・・・皆さんそうやってるのをみて

いいなぁと思っただけ。真似っこですけどね(爆)顔06

基本、子育て真っ最中の母ちゃんですので、

娘のこと。家族のこと。

幼稚園のこと。

主婦的視点のもろもろ。

が、主になるとは思いますが・・・他に、

料理のこと。

食べ歩きスプーンとフォーク、お酒日本酒のこと。

ファッション洋服 Wのこと。

旅のこと。

楽しい仲間たち『あぶにゃー部顔16』のこと(笑)

綴っていこうと思います。

どうぞよろしくお願いいたします顔01

  

Posted by うるまゆ at 23:26Comments(12)