2010年10月02日
私の両親と家業のこと。その1
私を育ててくれた両親について。
実はいろいろと複雑なのですが、
隠すことでもないので、ぶっちゃけます(笑)
私は、韮山で芸者置屋を営む両親のもとで生まれました。
一人娘です。
今となっては芸者置屋という商売もあまり聞かないと思いますが、
私が小さいときは、まだまだ伊豆長岡も活気があり、毎晩のように宴会のお座敷に
呼ばれていました。
夜のお座敷に備えて、夕方の我が家は戦争。
父が事務方全般をやり、母は1人で芸者さんの着付け。
みんなでお座敷に送り出したあと夕飯。
お座敷が終わって帰るころには、当然私は寝ているのですが、
芸者さんたちがお客さんからチップをはずんでもらったり、高級なお寿司をおみやにもたせて
もらったときには、よくたたき起こされたものです(笑)
お酒とタバコと着物の香りが充満する空間。
子供を育てる環境としては今では信じられないけど、私にとっては懐かしい香りです(笑)
芸者さん(とくに温泉場)ってちょっと勘違いされてるところもありますが
普段は三味線、唄、作法、日本舞踊・・・など、芸事の修練もとても厳しいものでした。
私も実は日本舞踊を習っていたんですよ(笑)
ここまでは家業の話。
さて、父と母のことです。
もともと、私の母も九州から人を頼ってこちらに住み着き、芸者として伊豆長岡、修善寺
遠くは船原のほうまでお座敷に出ていたとか。
昔は華やかだったんですね!
母の芸者の通り名は、小さくて丸っこかったので『万丸』ちゃん(笑)
(ちなみに母の当時を知る地元の方は、若いころの母に私がそっくりでいまだに『万丸ちゃんの娘』と
呼ばれます(笑))
頑張りを認めてもらったのか、当時の女将さんよりのれんわけをしてもらい、
20代後半で置屋の女将さんになったそうです。すごい、ある意味出世!!
で、ここで父の登場です。
父は富士の出身で、生まれも育ちもよかったそうで(→あくまでも本人談)
会社を経営し、よく遊んでいたそうです(爆)
長岡のほうによく繰り出し、たまたま宴席に呼ばれていた母のことが気に入ったようで、
その後もよくお座敷に呼んだそうです。母曰く、すごくいいお客さんだったとか!!(笑)
ところがところが・・・・父の会社が諸事情で(→ここは伏せます)倒産。
いい身なりをしていた父が、肌寒い時期にランニング、短パン、サンダル姿で突然母を頼って
きたそうです。
忙しかった母はどうにもして助けてあげられないからと、とりあえず帰るように促したそうですが、
祖母が『キモチが落ち着くまでここにいればいいよ』と家に置いたとか。
母にとっては、とっても迷惑だったそうで・・・しかも、お金もないのに、いろいろひどいことを
忘れるためにお酒に逃げていたそうで、朝からずっと飲みっぱなし。
それでも祖母は手厚く面倒をみたそうです。
そんな変な同居生活のなか・・・情に変わったのか、結果として私が母のお腹に宿ったんですね(笑)
それを知ってから父は心機一転、狂ったように働き出し自分の会社や家庭のごたごたを整理し、
数年かかってめでたく家族になったそうです。
まー、もっと内情はすごかったとは想像できますけどね(爆)
そんなきっかけから二人で芸者置屋を切り盛りしていき、私が物心ついたときには
もうそれは毎日が宴会のにぎやかな毎日でした(笑)
これまでの芸者置屋の形を変えようと、ビジネスモデルを打ち立てて、
新しいスタイルの経営を取り入れたことで、母の置屋は基盤がしっかりしていましたが、
昔堅気を守る母と、ビジネスと割り切る父とはよく衝突していました(笑)
しかも二人は年が16歳も離れていたので、いつも母は論破されてしまい
実はかなーり不満をもっていたようです(後の談)
儲かったけど、人と人のつながりに溝ができてしまったとか・・・。
続きます・・・
実はいろいろと複雑なのですが、
隠すことでもないので、ぶっちゃけます(笑)
私は、韮山で芸者置屋を営む両親のもとで生まれました。
一人娘です。
今となっては芸者置屋という商売もあまり聞かないと思いますが、
私が小さいときは、まだまだ伊豆長岡も活気があり、毎晩のように宴会のお座敷に
呼ばれていました。
夜のお座敷に備えて、夕方の我が家は戦争。
父が事務方全般をやり、母は1人で芸者さんの着付け。
みんなでお座敷に送り出したあと夕飯。
お座敷が終わって帰るころには、当然私は寝ているのですが、
芸者さんたちがお客さんからチップをはずんでもらったり、高級なお寿司をおみやにもたせて
もらったときには、よくたたき起こされたものです(笑)
お酒とタバコと着物の香りが充満する空間。
子供を育てる環境としては今では信じられないけど、私にとっては懐かしい香りです(笑)
芸者さん(とくに温泉場)ってちょっと勘違いされてるところもありますが
普段は三味線、唄、作法、日本舞踊・・・など、芸事の修練もとても厳しいものでした。
私も実は日本舞踊を習っていたんですよ(笑)
ここまでは家業の話。
さて、父と母のことです。
もともと、私の母も九州から人を頼ってこちらに住み着き、芸者として伊豆長岡、修善寺
遠くは船原のほうまでお座敷に出ていたとか。
昔は華やかだったんですね!
母の芸者の通り名は、小さくて丸っこかったので『万丸』ちゃん(笑)
(ちなみに母の当時を知る地元の方は、若いころの母に私がそっくりでいまだに『万丸ちゃんの娘』と
呼ばれます(笑))
頑張りを認めてもらったのか、当時の女将さんよりのれんわけをしてもらい、
20代後半で置屋の女将さんになったそうです。すごい、ある意味出世!!
で、ここで父の登場です。
父は富士の出身で、生まれも育ちもよかったそうで(→あくまでも本人談)
会社を経営し、よく遊んでいたそうです(爆)
長岡のほうによく繰り出し、たまたま宴席に呼ばれていた母のことが気に入ったようで、
その後もよくお座敷に呼んだそうです。母曰く、すごくいいお客さんだったとか!!(笑)
ところがところが・・・・父の会社が諸事情で(→ここは伏せます)倒産。
いい身なりをしていた父が、肌寒い時期にランニング、短パン、サンダル姿で突然母を頼って
きたそうです。
忙しかった母はどうにもして助けてあげられないからと、とりあえず帰るように促したそうですが、
祖母が『キモチが落ち着くまでここにいればいいよ』と家に置いたとか。
母にとっては、とっても迷惑だったそうで・・・しかも、お金もないのに、いろいろひどいことを
忘れるためにお酒に逃げていたそうで、朝からずっと飲みっぱなし。
それでも祖母は手厚く面倒をみたそうです。
そんな変な同居生活のなか・・・情に変わったのか、結果として私が母のお腹に宿ったんですね(笑)
それを知ってから父は心機一転、狂ったように働き出し自分の会社や家庭のごたごたを整理し、
数年かかってめでたく家族になったそうです。
まー、もっと内情はすごかったとは想像できますけどね(爆)
そんなきっかけから二人で芸者置屋を切り盛りしていき、私が物心ついたときには
もうそれは毎日が宴会のにぎやかな毎日でした(笑)
これまでの芸者置屋の形を変えようと、ビジネスモデルを打ち立てて、
新しいスタイルの経営を取り入れたことで、母の置屋は基盤がしっかりしていましたが、
昔堅気を守る母と、ビジネスと割り切る父とはよく衝突していました(笑)
しかも二人は年が16歳も離れていたので、いつも母は論破されてしまい
実はかなーり不満をもっていたようです(後の談)
儲かったけど、人と人のつながりに溝ができてしまったとか・・・。
続きます・・・
Posted by うるまゆ at 23:31│Comments(3)
│家族
この記事へのコメント
長岡温泉街の復活を願うよ。
母の実家が修善寺なので毎週長岡の温泉街を通ってたのね。
私にとっては夢の街でした。
復活プロジェクトやろうか!!
文化の継承は大事だよ、うん。
母の実家が修善寺なので毎週長岡の温泉街を通ってたのね。
私にとっては夢の街でした。
復活プロジェクトやろうか!!
文化の継承は大事だよ、うん。
Posted by SOLA. at 2010年10月04日 23:06
SOLA.さん
修善寺も雰囲気のある温泉場ですよね。
伊豆長岡はどちらかというと庶民的なイメージ。
母のお座敷に出ていた写真とか、芸者姿で歩いてる写真とか。
これだけでも貴重な資料かなって思うんですが、ほんと温泉場の活気が伝わってくるくらい華やかでした。
芸者にはなれないけど(笑)雰囲気作りぐらいは何かできないかなって。
ほんと芸者さんって日本にとって大事な文化です。
下町や京都だけじゃないって言いたい。
修善寺も雰囲気のある温泉場ですよね。
伊豆長岡はどちらかというと庶民的なイメージ。
母のお座敷に出ていた写真とか、芸者姿で歩いてる写真とか。
これだけでも貴重な資料かなって思うんですが、ほんと温泉場の活気が伝わってくるくらい華やかでした。
芸者にはなれないけど(笑)雰囲気作りぐらいは何かできないかなって。
ほんと芸者さんって日本にとって大事な文化です。
下町や京都だけじゃないって言いたい。
Posted by うるまゆ
at 2010年10月08日 17:28

うちの従業員さん、って長岡の芸者さんだった人が多いの。
皆さん、ほんとプロよ。
忘年会でのふすまの開け閉めの見事なまでの美しさ。忘れられない。
ある意味衝撃だった。
お母様がご存命だったらいろんなお話うかがえたのかもしれないなあ。
返す返すも残念無念!!。
皆さん、ほんとプロよ。
忘年会でのふすまの開け閉めの見事なまでの美しさ。忘れられない。
ある意味衝撃だった。
お母様がご存命だったらいろんなお話うかがえたのかもしれないなあ。
返す返すも残念無念!!。
Posted by SOLA. at 2010年10月12日 02:45